昭和42年04月25日 朝の御理解
私は昨日こちらに移らせて頂いて以来、初めて新聞を見せて貰いました。そんなに新聞を読む暇もない様に忙しいかと、そうでもなかったんですけれども、何となしにこう落着かないとういのが実感だったんです。その場を得てというか所を得るというか、皆さんでも矢張り椛目の場合はそれぞれに所を得、場を得ておった。例えば、お便所のお掃除をする人は、何時もお便所のお掃除の御用を頂いておった。
ここの御用そこの御用と言った様なその御用と、言う様な事でも出来とったけれども。ここの場合はまだ皆が何処をどうしてよいやら分からないと言った様な、勿論していない訳じゃない。そこをしここをしと言った様な事で、まだその場を得てない。是は当然な事で御座いますけれども、落着いていないと云う事。なら私はその新聞を読む暇がないと、言う程にあったと云う事でもないのですけれども。
その新聞を読む落着きというものを持って居なかったと云う事になる訳で御座いますが。とどうでも一日も早くここのお広前でのその場、ここは家族の者でもそうである、先生方でもここでまだ、昨日久富先生もそう云う事言うておられましたが。漸く昨日神饌室という、神饌室をまぁ、自分のこころゆくまで片付けをする事が出来た。簡単な事の様ですけれども、やっぱりその仲々出来てなかった。
そう言う様なあの意味で、私共がその場になれると云う事。もう願わなければならん。私共、皆さんこうやって合楽にお参りをしてみえる。けどもそのまだ本当のピターと来ないものがあるのではなかろうか。ですから何となしにただお参りをして来取るけれども、御用と言う所まで、いや、御用でもさせて頂くというても、お掃除させて頂くでも。この広い所を仲々出来ぬですけれど。
それぞれが、その持ち場または、立場においてです、そこんところのキチッとした御用が出来る様に、ならなければならんと思うんですけれども。早くお互いが、一つなれさせて頂かなければならん。例えば、あのお月次祭を奉仕いたしましても、椛目の場合にはもうキチッと八時半なら八時半、時間励行で来とったのが、別に忙しい訳でもないのにそれが出来ていない。
何かがそこに、まだ落着いていない、まだその場を得ていないと言う様に思うのです。どうぞひとつ早く合楽との馴染みというか、その落着きというか、それを頂かせて貰うて、それぞれの持ち場立場で本当の御用が出来る様にならなければならんと言う風に思います。漸く私が、もうこちらへ参りましてどれだけになりますか、漸く初めてその新聞を読むゆとりを得たという。
ですから皆さんも矢張りおかげを頂きなさらなければならん。同じ様な事が昨日私の長女がそうでしたではないかと思うんです。昨日御用から初めてそのお洗濯の御用もさせて貰えれば勝手の方の御用も、今まで誰もしなかった訳でもないけれども。その持ち場立場をまだ得ていなかったと言う様な感じ。それがなら矢張りどうも信心がそのあれを見たら悪い是を見たら悪いして、まぁいうなら乱れておると云う事になるのです。
お互いの信心が先ずまとまらせて貰うてそして、持ち場立場と言う様なものを、銘々が自覚させて貰う所から矢張りその、お広前ならお広前が立ち行きます。是は銘々の色んな問題、銘々の事においても同じ事が言えるのじゃないだろうかとこう思うのです。今日も、昨日共励会から帰って参りましてから秋永先生がおかげを頂いた。丁度帰られたのか二時半でしたから、もう送り出してやむのがもう三時過ぎで御座いました。
まぁ、秋永先生も矢張り同じ。月次祭を終わってずっとなら椛目の場合は楽室に入って行きよった。あそこに必ず先生がおられて、まぁ、当たり前にこうお茶を頂いたり、お話をしたりしてからだったけど。まだそのどこに落ち着いていいやら分からん。先生がどこに御座るやら分からんと言った様な感じでしたけれども。漸くあのここでお礼をすましたら、ずっとその茶の間の方へ、なんかこう、行くと先生が御座らんでも、ここに待っときゃ先生はここに来なさると、言った様な感じで、まぁだいぶん落ち着いて来たと言った様な事を言うておりましたが。皆がそうなんであります。
そう云う事は矢張り、合楽での信心というものが、まだほんとに纏っていない、合楽での信心がまだお互いがその持ち場立場を得ていない。その事務室の事でもまぁ、それが言える様な感じがする。まだあの、もう随分の日にちになるのだけども、まだ片付いていないと言った様な感じがする。物置一つでも何処に置くかこの、道具やら何処に置くべきだと言った様な事がまだほんとに定まっていないと言った様な感じ。
ですから乱れておる。 私共の信心も同じ事が言える。まだその持ち場立場を、得ていないと言う所にです、私共の信心のまだ乱れを感ずる。自分の心がほんとに纏らして貰うて、初めてする事も言う事も正常になるのではなかろうか。そこに信心のゆとりとういものを感ずる。ゆとりが出来なければです、私はおかげを受けられない、何時もイライラしとらんならん。何時も落ち着かないという感じ。
かというて、なら私こちらへ参りましたら初めて昨日は新聞を、何時も十二時下がって四時まではここに、控えとるので御座いますから、新聞を読む暇がないじゃないけれども、何か新聞を読むという気持ちならなった。漸くまぁ昨日頃から私の信心が正調になって来たという感じがする。皆さんも追々あろうけれども、一日も早う、いわゆるその乱れておるものが整う。そこから私はそれぞれの御用だけではありません、信心の上においても、又おかげの上においても、纏って来るおかげが受けられると言う風に感じました。
どうぞ。